2019年11月30日土曜日

文学賞三冠

 若手に与えられる芥川龍之介賞、野間文芸新人賞、三島由紀夫賞の三賞を制覇しているのは2019年11月現在以下の五人。

・笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』『なにもしてない』『二百回忌』
・鹿島田真希『冥土めぐり』『ピカルディーの三度』『六〇〇〇度の愛』
・本谷有希子『異類婚姻譚』『ぬるい毒』『自分を好きになる方法』
・村田沙耶香『コンビニ人間』『ギンイロノウタ』『しろいろの街の、その骨の体温の』
・今村夏子『むらさきのスカートの女』『星の子』『こちらあみ子』
 (いずれも芥川賞、野間文芸新人賞、三島賞の順)

 芥川賞をもらうと若手の枠から外されて他の二賞はもらえなくなるのが通例なので、三冠を達成できるかどうかは実力というよりは芥川賞の与えられるタイミングによるところが大きく、新人賞受賞作で芥川賞をもらったりすると(沼田真祐『影裏』、石井遊佳『百年泥』、若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』など、近年多くみられる)、自動的に野間文芸新人賞、三島賞はもらえなくなる。他に若手のうちにもらえる可能性のあるのは泉鏡花賞、織田作之助賞、芸術選奨新人賞、紫式部文学賞(これは女性だけ)あたり。2019年に休止した川端賞も絲山秋子、田中慎弥、青山七恵らが比較的早い段階でもらっている。まあ、野間文芸新人賞、三島賞がもらえなくなるからといって、いつまでも芥川賞をもらえないよりは早々にもらえるに越したことはないだろう。

2019年11月読書記録

 何とはなしに手に取った『ギンイロノウタ』がよくて、村田沙耶香強化月間のようになってしまった11月、『コンビニ人間』『地球星人』は既読のため、残すは『マウス』『ハコブネ』『タダイマトビラ』に最新刊『生命式』のみになった。概して初期のちょっと異様な少女視点のものがいい感じ。いちばん好きだったのは『しろいろの街の、その骨の体温の』で、これは三島賞。『ギンイロノウタ』が野間文芸新人賞で、こうきれいにいい作品で賞がとれているのも珍しい。
 『パーク・ライフ』は芥川賞受賞の表題作よりも「flowers」が妙によく、印象に残った。元旦の人物造形がよくないか。純文学出身の作家が初期に書く、芥川賞受賞前後(とろうがとるまいが、そういう時期)の中編が好みなのかもしれない。中堅より後になると不思議とそういうものは書かなく、ないしは書けなくなるように見える。

・この名作がわからない 小谷野敦、小池昌代●
・パーク・ライフ 吉田修一
・美しい夏 チェーザレ・パヴェーゼ(河島英昭)▲
・大学教授のように小説を読む方法[増補新版] トーマス・C・フォスター(矢倉尚子)●
・愛という名の支配 田嶋陽子●
・ダイヤモンド広場 マルセー・ルドゥレダ(田澤耕)●
・デッドライン 千葉雅也
・ギンイロノウタ 村田沙耶香●
・授乳 村田沙耶香
・星が吸う水 村田沙耶香
・しろいろの街の、その骨の体温の 村田沙耶香●
・殺人出産 村田沙耶香
・消滅世界 村田沙耶香
・エスタブリッシュメント 彼らはこうして富と権力を独占する オーウェン・ジョーンズ(依田卓巳)●
・犬婿入り 多和田葉子●
・かかとを失くして/三人関係/文字移植 多和田葉子

2019年10月31日木曜日

2019年10月読書記録

 好みに合わないことが多いから…と後回しにしがちな現代日本人男性作家、読んでみたら思いがけずええやないか、が続いた10月。長嶋有に関しては、こういう方向で魅力的に女性を書けるヘテロ男性もいるのだなと驚いた。属性で判断するのよくないねと言いつつもやっぱり意外。慎の母親とか洋子さんとか、いいよなあこの感じ。
 町田も辻原も、ジェンダー的に気にならない部分がゼロというわけではないのだが、そういう問題を一旦脇に置いておけるだけの魅力があったし、作品にポリティカリーコレクトであることを潔癖に求めすぎるあまり損なわれる魅力もあろうと思う。

・夏の終り 瀬戸内寂聴
・侍女の物語 マーガレット・アトウッド(斎藤英治)
・父と私の桜尾通り商店街 今村夏子
・くっすん大黒 町田康●
・チェルノブイリの祈り スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(松本妙子)●
・M 愛すべき人がいて 小松成美
・LESS アンドリュー・ショーン・グリア(上岡伸雄)▲
・遊動亭円木 辻原登●
・飛族 村田喜代子
・どん底 マクシム・ゴーリキー(中村白葉)
・潤一 井上荒野
・欲望という名の電車 テネシー・ウィリアムズ(小田島雄志)
・猛スピードで母は 長嶋有●
・不思議の国のアリス ルイス・キャロル(河合祥一郎)
・鏡の国のアリス ルイス・キャロル(河合祥一郎)

2019年10月8日火曜日

村田喜代子 受賞歴

『飛族』が谷崎賞をとったので、メモ。野間文芸賞の後に谷崎賞ってのも珍しくないか。

1977年 『水中の声』第7回九州芸術祭文学賞最優秀作
1987年 『鍋の中』第97回芥川龍之介賞
1990年 『白い山』第29回女流文学賞
1992年 『真夜中の自転車』第20回平林たい子文学賞
1997年 『蟹女』第7回紫式部文学賞
1998年 『望潮』第25回川端康成文学賞
1999年 『龍秘御天歌』第49回芸術選奨文部大臣賞
2007年 春の褒章 紫綬褒章
2010年 『故郷のわが家』第63回野間文芸賞
2014年 『ゆうじょこう』第65回読売文学賞
2016年 春の叙勲 旭日小綬章
2019年 『飛族』第55回谷崎潤一郎賞

2019年9月30日月曜日

2019年9月読書記録

 ただなんとなく話題になってるから、という理由だけで読んだアディーチェが思いがけずよく、積んでるアチェベや『アフリカの日々』に手を付ける気になった。同じく話題のルシア・ベルリンも非常によかったので(ちょっとすごいね。図書館で借りたんだけど、読み終えるなり買いに走った)、流行りには乗っておくものですね。読み終えたばかりの人が多いから話が盛り上がりやすいのも嬉しい。
 津村記久子はお仕事小説の人やったのですね。均等法第一世代の女性総合職が絲山秋子なら、ロスジェネには津村記久子がいるのやな、とよく分からない頼もしさを覚えた。

・ポトスライムの舟 津村記久子
・青い眼がほしい トニ・モリスン(大社淑子)●
・神様 川上弘美
・ミックスルーム 森井良
・スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む ヨーラン・スバネリッド(鈴木賢志)
・嘘つきアーニャの真っ赤な真実 米原万里●
・不実な美女か貞淑な醜女ブスか 米原万里●
・なにかが首のまわりに チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(くぼたのぞみ)●
・ヒョンナムオッパへ チョ・ナムジュほか(斎藤真理子)▲~
・さみしくなったら名前を呼んで 山内マリコ
・掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン(岸本佐知子)●
・メガネと放蕩娘 山内マリコ
・皿洗いするの、どっち? 目指せ、家庭内男女平等! 山内マリコ

2019年9月10日火曜日

Le Monde Diplomatique

仏語学習用、日仏読み比べに便利かも。

"Le Monde Diplomatique"
日本語版:
http://www.diplo.jp/
仏語版:
https://www.monde-diplomatique.fr/

2019年9月1日日曜日

2019年8月読書記録

 フェミニズム社会学ことはじめ。ジェンダー論や近代家族と性、恋愛の関係性について学びたい。歴史的な視座をもって紐解いていけば、常日頃感じている生のジレンマを解き明かすヒントがたくさん得られそう。線を引いたり書き込んだりしながらのお勉強読書は久しぶりで楽しい。
 ここのところわたしの中で地方(特に西、中でも地元・関西)の地域性・方言ブームが到来していて、津村記久子や柴崎友香の作はその欲求をうまい具合に満たしてくれる。関西の関西性みたいなものがそのまま固定されているテキストが読みたくて仕方がない。ただ単純に故郷が恋しいんだと思う。

・その街の今は 柴崎友香●
・海に住む少女 ジュール・シュペルヴィエル(永田千奈)
・わが悲しき娼婦たちの思い出 ガブリエル・ガルシア=マルケス(木村榮一)▲
・アムステルダム イアン・マキューアン(小山太一)※再読
・初夜  イアン・マキューアン  (村松潔)
・未成年  イアン・マキューアン  (村松潔)
・苦海浄土 石牟礼道子●
・むらさきのスカートの女 今村夏子
・東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ 遥洋子●
・女ぎらい ニッポンのミソジニー 上野千鶴子●
・1ミリの後悔もない、はずがない 一木けい
・完璧じゃない、あたしたち 王谷晶●
・ヨーロッパ思想入門 岩田靖夫
・ジニのパズル 崔実●
・娘について キム・ヘジン(古川綾子)●
・永遠のとなり 白石一文▲

2019年8月23日金曜日

エヌマ・エリシュ

 『エヌマ・エリシュ』の和訳テキストは『筑摩世界文学大系 1 古代オリエント集』で読めるようだけどさすがに手元に置くには価格もサイズも……なので、Wikipediaから冒頭の和訳を引用。誰の訳なんだろ。

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e-nu-ma e-liš la na-bu-ú šá-ma-mu
上にある天は名づけられておらず、

šap-lish am-ma-tum šu-ma la zak-rat
下にある地にもまた名がなかった時のこと。

ZU.AB-ma reš-tu-ú za-ru-šu-un
はじめにアプスーがあり、すべてが生まれ出た。

mu-um-mu ti-amat mu-al-li-da-at gim-ri-šú-un
混沌を表すティアマトもまた、すべてを生み出す母であった。

A.MEŠ-šú-nu iš-te-niš i-ḫi-qu-ú-šú-un
水はたがいに混ざり合っており、

gi-pa-ra la ki-is-su-ru su-sa-a la she-'u-ú
野は形がなく、湿った場所も見られなかった。

e-nu-ma DINGIR.DINGIR la šu-pu-u ma-na-ma
神々の中で、生まれているものは誰もいなかった。

— 『エヌマ・エリシュ』冒頭部
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8C%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5より

全文(英語)
http://www.sacred-texts.com/ane/enuma.htm

19/09/08追記
上記成書の「オリエント」のみを収録した文庫(ちくま学芸文庫)があったので、購入。
『シュメール神話集成』
https://www.amazon.co.jp/dp/4480097007%3FSubscriptionId%3DAKIAIJMSOVU5ZV53U5AQ%26tag%3Dthenumber-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4480097007

Laura Bridgman

 重複障害者と言えばヘレン・ケラー(盲・聾)くらいしか知らなかったけど(彼女を教育したサリバン先生は盲のみ)、先人がいたのね、ってことをジッド『田園交響楽』で知った。
 Wikipediaが英語版しかないし、日本ではあまりメジャーでないっぽい。ディケンズの『アメリカ紀行』に記述があるとのことだが、たぶん読まない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Laura_Bridgman

王位請求者

 現在の王位請求者、多い。オルレアン家くらいしか知らなかった。ボナパルトの子孫は見た目がそれらしい。
 国民投票で廃位、みたいな記述をみると、理性的で羨ましくなるな。浅田彰が土人の国と言い放った頃から何も変わらないニッポンとはえらい違い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E4%BD%8D%E8%AB%8B%E6%B1%82%E8%80%85

2019年8月1日木曜日

2019年7月読書記録

 今月読んだ中では『こちらあみ子』がすごかった。おかげで今村夏子を集中的に読んでしまった。これは太宰賞をとった今村のデビュー作で、三島賞ももらっている。文藝春秋もこれで芥川賞をあげていればよかったのだが、太宰賞受賞作が芥川賞候補にピックアップされるようになったのは岩城けい『さようなら、オレンジ』から。その後『むらさきのスカートの女』で芥川賞をとるまで、『あひる』『星の子』が候補になっている。『星の子』はあれだけど、『あひる』にはあみ子と合わせ技であげてもよかったんじゃないの、と思う。『あひる』では短いと言われ、長く書いた『星の子』は冗長と言われ、どうしろと? というところで受賞が決まってよかった。

・あのこは貴族 山内マリコ(※再読)
・スクラップアンドビルド 羽田圭介
・三つの物語 ギュスターヴ・フローベール(谷口亜沙子)●
・あひる 今村夏子●
・三つ編み レティシア・コロンバニ(齋藤可津子)
・星へ落ちる 金原ひとみ
・青い麦 シドニー=ガブリエル・コレット(河野万里子)
・蛇にピアス 金原ひとみ
・こちらあみ子 今村夏子●
・沖で待つ 絲山秋子
・フランケンシュタイン メアリー・シェリー(芹澤恵)
・眠れる美女 川端康成●
・星の子 今村夏子
・サイモンvs人類平等化計画 ベッキー・アルバータリ(三辺律子)
・外套/鼻 ニコライ・ゴーゴリ(平井肇)●

2019年7月1日月曜日

2019年6月読書記録

 聖書の基本知識が頭に入っていなくて困ることが増えてきたので、阿刀田高二本立て。ゆとり仕様だけど最初はこんなもんで。大要は掴めたので、あとは犬養道子『旧約聖書物語』『新約聖書物語』でも通読しておいて、新共同訳聖書を資料として手元に置けばそれでいい気がしている。わたしはキリシタンでも神学者でもないので……。
 ディディエローランは小粒だったが兎が絞められるテキストで金井美恵子『兎』を思い出すなあ、とか思っていたら後で読んだ女性文学短編集に『兎』が入っていて、事前に知らなかったので驚いた。兎の屠殺はディディエローランの本筋には特に関係ない。

・はつ恋 イワン・ツルゲーネフ●
・不意の声 河野多恵子
・6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む ジャン=ポール・ディディエローラン
・限りなく透明に近いブルー 村上龍
・ボヴァリー夫人 ギュスターヴ・フローベール●
・君は永遠にそいつらより若い 津村紀久子●
・田園交響楽 アンドレ・ジッド
・旧約聖書を知っていますか 阿刀田高
・短編 女性文学〈現代〉 今井泰子、他(編)●
・新約聖書を知っていますか 阿刀田高

2019年6月1日土曜日

2019年5月読書記録

 引っ越しと旅行でGWがつぶれたため読書は捗らず。幻想抒情詩人・石牟礼道子があまりにもすごくて『苦海浄土』をソッコーで購入した。近代への呪詛と前近代への憧憬、水俣方言から立ち上がる世界にあてられた。圧倒、圧巻てのはこういう時に使うべき語。亡くなっていなかったらノーベル賞クラスでしょう。村上春樹よりもよっぽど。春樹はエルサレム賞もらったからそれでいいじゃんね。マキューアン、ウエルベック、春樹はエルサレム賞、オッケー!枠でいいと思う。ウエルベックがもらえるのかはしんないけど。

・私がオバさんになったよ ジェーン・スー
・おひとりさまの老後 上野千鶴子
・夫のちんぽが入らない こだま
・とちおとめのババロア 小谷野敦
・椿の海の記 石牟礼道子●
・脂肪のかたまり ギ・ド・モーパッサン●
・さようなら、ギャングたち 高橋源一郎
・わたくし率 イン 歯ー、または世界 川上未映子●

2019年5月1日水曜日

2019年4月読書記録

 アゴタ・クリストフの三部作は軽く読めるのに軽くないところがいいね。面白くて三冊一気読みした。
 クリスティーは人生相談ウェブ記事で何やらバズっていたので。イギリスっていつもこんなだな。フォースターにしてもマキューアンにしても、読んでると慇懃無礼という語が浮かぶ。

・妊娠カレンダー 小川洋子
・ヰタ・セクスアリス 森鴎外
・悪童日記 アゴタ・クリストフ●
・ふたりの証拠 アゴタ・クリストフ
・第三の嘘 アゴタ・クリストフ
・放課後の音符 山田詠美
・春にして君を離れ アガサ・クリスティー●
・小僧の神様・城の崎にて 志賀直哉●
・あたしたちよくやってる 山内マリコ 
・桜の園・三人姉妹 アントン・チェーホフ

2019年2月21日木曜日

略称の多用

 いつの頃からかドラマ、映画、小説等作品タイトルの略称がたびたび目に付くようになって、それが鬱陶しい。
 もとは作品が優れているゆえにファンの間で自然発生的に生まれたものかと思うけど、最近では新ドラマが始まるなりメディアや作り手の側が当然のように略称を用いるやり方がままみられ、 親しみをもってもらおうというプロモーション上の目論見があるのだろうけど鬱陶しくてかなわない。略称が与えられる作品はそれに値する知名度や内容を伴っているべきで(たびたび言及することになるから自然略称の必要性が生じる)、始まったばかりのドラマタイトルに略称は不要であろ。放送が終わるとともに記憶から失せていく有象無象に略称はふさわしくない。『逃げるは恥だが役に立つ(逃げ恥)』のヒット以来この傾向は強まっているようで、苛立ちは募るばかりである。
 逃げ恥と言えば次クールの同枠でドラマ化された『東京タラレバ娘』が逃げ恥の前進させた価値観を見事に元の場所にまで引き戻していて、呆れてしまった。

2019年2月20日水曜日

小口研磨との闘い

 小口研磨本を避けるようになってから、書店での買い物が楽しい。
 小口研磨とはその名の通り書籍の小口(広義には本の背の部分を除いた三方の辺)を研磨することを指し、書店に並んだ書籍が出版社に返品されると、再出荷に備えて汚れを落とすために小口が研磨される。ハードカバーの本が研磨されることはほとんどないが、ソフトカバーの本(特に文庫や新書)では返本されると大抵は研磨されてしまうので、書店に並んでいるソフトカバー本は新刊や重版分を除いた大部分が小口研磨本になる。
 研磨されていても汚れが落ちている方がいいではないかという向きもあるかと思うが、研磨本と非研磨本を並べてみると一目瞭然で、頁の端がぎざぎざに削れているのと真っ直ぐに裁断されているのとでは見た目が全く異なるし(非研磨本のが圧倒的に美しくない?)、手触りも全然違う。のだけど、世の中の大多数はそのようなことは気にも留めないらしく、この話をすると驚きとともに憐れまれることが多い。
 確かに小口研磨本を避けることには面倒が付きまとうが、良い点もいくらかある。まずもってきれいな状態で本を読めることは気持ちがいい(読書中小口は常に視界に入っているし、親指で押さえつけてもいる)。また、本を買うペースがうまく抑制されるということもある。わたしの読書ペースは週に2~3冊、月にすると十数冊ほどで、きれいな本を見つけたときにだけ購入することで積ん読の蓄積ペースがだいぶ緩まった。何よりのメリットは書店での買い物が楽しくなることで、目当ての本をきれいな状態で見つけた時の喜びは宝探しのそれに似ている。以前はAmazonで購入すれば検索→ワンクリックで済むのだから、買いたい本が決まっているのを書店の広い棚の中から探し出すのが面倒で苦痛だったけど、ネット書店では小口の状態が分からないという実利的な面、宝探しのようで楽しいというエモーショナルな面両方の理由が見つかると、それは途端にわくわくと楽しいイベントへと様変わりした。
 やっかいなのは店頭でなかなか見つからないマイナー本で、そもそも店頭在庫自体が僅少なのでその中できれいな状態のものを見つけるのは至難の業である。どうしても見つからない場合は諦めてネット書店で買い求めるのだが、まあ大抵は小口研磨本が届けられてがっかりすることになる。

2019年2月19日火曜日

作家の敬称問題

 ブログを書くにあたって、作家の敬称をどう処理するのかという問題が生じることに気がついた。用字・用語の統一などは個人ブログなのだし大して読まれもないのだからまあそれなりにやればいいのだが、作家・著名人の敬称がてんでばらばらというのはちょっと美しくない。
 故人に関しては簡単で、敬称なしで統一すればいい。尊敬していようがいまいが三島は三島だし、谷崎は谷崎でいい。
 面倒なのは生きている人間で、どう線引きをするか。著名度による線引きはどうか。例えば誰でも知っている、村上春樹や大江健三郎クラスの作家は呼び捨てで差支えないだろうが(さん付けだとなんとなく気持ち悪い)、山田詠美や堀江敏幸を呼び捨てにするのは気が引ける。これも理由はなんとなく。と言って、知名度は高くないものの敬意を払う気になれない相手がいるのも事実で、そういう場合は敬称なしがいいだろうか。記者ハンドブックにあたったがあまり参考にならなかった。

19/08/23追記
 別に全員呼び捨てでいいな、と思い直した。

純文学と大衆文学の境

 一般に純文学とされている小説(もしくは、純文学作家とされている作家の書いた小説)を多く読むようになって、純文学とそうでないものの境目について、ちょっとした混乱状態に陥っている。
 例えば、直近で読んだのは川上弘美さんの『センセイの鞄』なのだが、川上さんは一般には純文学作家とされていて、芥川賞、泉鏡花賞、谷崎賞等の純文学作品に与えられる文学賞を複数受けているし、『センセイの鞄』は谷崎賞受賞作なので、そういう意味では純然たる純文学作品と言えそうである。しかし、本作は私の読んだところでは文体はシンプルで装飾的でなく、それだけで純文学と言い切ることのできるようなものではなかったし(例えばヌーヴォー・ロマンのように一読しただけで純文学と言い切れる小説もあるが、その類からは程遠かった)、内容的にも中年女性と老年男性の恋愛模様が待ち合わせをしない飲み屋での逢瀬、差し込まれる当て馬男性などの描写をだらだらと(よく言えば丁寧に)重ねながら単線的に(時間軸は明示されないが、単線的に読める)進んでいくというもので、年の差、教師と教え子、老年紳士などエンタテインメント作品において使い古された要素が多々登場するせいもあってどちらかと言えば通俗的な印象を受けるものだった。終盤に幻想的な、時空間的に現実世界とは切り離された場所での描写が一章分挟まり、そのおかげでやや持ち直すものの、結末の付け方も通俗的に思われてならず、作品全体としてもやはり通俗小説寄りと言わざるを得ないのでは、という感想をもった。
 にも関わらず『センセイの鞄』は谷崎賞を受けていて、世間的には純文学とされているようで、何をもってそうみなされているのかちょっと分からなかった。川上さんが純文学作家だから、というバイアスがあるのかもしれないが、純文学かどうかは作家でなく作品単位で考えるべきであって、だから漫画『響 ~小説家になる方法~』で純文学とは何かと問われた主人公が「三島、太宰、芥川……」などと作家名を連ねるのは誤っている(例えば三島由紀夫や遠藤周作も通俗的な小説を書いているし、遠藤の『真昼の悪魔』なんかは通俗的なうえにくだらなくて驚いた。ドラマ化されたらしいが見る気はしない。加えて言うと坂上忍による帯の文言があまりにも馬鹿らしかった)。もちろん通俗的なものは書かない純文学一本の作家も存在するので、そうした作家は純文学作家と呼んで差支えないかと思う(大江健三郎とか。『個人的な体験』の結末が通俗的という批判もあったようだが、通俗小説というわけではない)。
 一定の数を読んでいると自分の中でぼんやりした基準のようなものができてはくるもののそれが妥当だともあまり思えないので、ある程度コンセンサスのとれた評価スケールなんかがあると便利そうだが、純文学 or notの線引きなどに興味のある人間がそう多くいるとも思えず、業界的にもそんなものは必要としていないのかもしれない(ごまかしておいた方が好都合な場面が多そうである)。

2019年2月15日金曜日

吉行淳之介について


 吉行淳之介『夕暮まで』を読んだ。
 吉行と言えば60年代以降数々の文学賞(純文学)の選考委員を務めていて、『夕暮まで』に関しては野間文芸賞を受けていることから、まあ相応の水準以上であろうと手に取ったのだが、読んでみて驚いた。全く面白くないのである。もちろんエンタテインメントを求めた上での面白くない、ではない。
 それで、一応は一定の評価を得ている作家なのだし私が理解できていないだけかもしれず、何とか良いところを探そうとなるべく丁寧に、ゆっくり読んでみるのだが、やはりわからない。それどころか、丁寧に読めば読むほどそもそも文章が下手糞ではないか……?などと思ってしまって、だんだん苛々してきた(同じ語をすぐ近くで何度も繰り返したり、とにかく文章というものへの感度が低いとしか思えない記述が目立った)。他人の意見にもあたろうとレビューサイトをあれこれ見てみると、もちろんマイナスのことも書いてあるが、楽しんで読んでいる人が多数派に見えてさらに苛々してしまった。あるいはたまたま『夕暮まで』が吉行作品の中では駄作なのかもしれないとも考えたのだが、そのようなことを書いている人もない。
 ダメもとで、面白くないものをきちんと面白くないと言ってくれそうな学者や作家のブログでワード検索していると次の記事が見つかった。


「しかし蓮實先生が、吉行などという三流作家が好きで好きでたまらないなどというのはよほどのバカであると書いたのだが、私もまあ、バカとまでは思わないが、どこがそんなにいいのか訊いてみたい。」
「吉行の小説の凄いところは、読んだあとで中身を全然覚えていないことである。最初は覚えていたのがだんだん忘れるのではなくて、読むそばから忘れるのである。まるで魔法である。それじゃ面白いはずがない。」
 この辺りには笑ってしまった。特に後者に関してはその通りで、『夕暮まで』では貞操を守る二十歳そこそこの女性が中年男性のものを素股するシーンが有名なのだそうだが、そんなシーンがあったこと自体完全に忘れていて、ウェブ上のレビューを読んでいて思い出したのだった。読了後すぐにレビューにあたったにも関わらず、である。
 また、村上春樹も『若い読者のための短編小説案内』の中で吉行を取り上げて、下手糞だがその飾らなさがいい、といったようなことを書いていて(同書では、適切な批評は必要だが、その小説の良いところを見つけるような読み方をしたい、この間読んだあの本がこうこうこうで良くってさ……と仲間に話したい、などということも書かれていて、村上春樹の今どきの若者的イケてる感覚を持ち合わせたオジサン性が佐々木俊尚や糸井重里と重なった)、やはり下手糞には違いないのだな、と胸をなで下ろした。
 さすがに一作しか読まずに判断するのも申し訳ないような気がするので、気が向いたらあと何作かは読んでみようと思う。小谷野さんのブログ記事から察するに、無駄に終わりそうではあるが。