吉行淳之介『夕暮まで』を読んだ。
吉行と言えば60年代以降数々の文学賞(純文学)の選考委員を務めていて、『夕暮まで』に関しては野間文芸賞を受けていることから、まあ相応の水準以上であろうと手に取ったのだが、読んでみて驚いた。全く面白くないのである。もちろんエンタテインメントを求めた上での面白くない、ではない。
それで、一応は一定の評価を得ている作家なのだし私が理解できていないだけかもしれず、何とか良いところを探そうとなるべく丁寧に、ゆっくり読んでみるのだが、やはりわからない。それどころか、丁寧に読めば読むほどそもそも文章が下手糞ではないか……?などと思ってしまって、だんだん苛々してきた(同じ語をすぐ近くで何度も繰り返したり、とにかく文章というものへの感度が低いとしか思えない記述が目立った)。他人の意見にもあたろうとレビューサイトをあれこれ見てみると、もちろんマイナスのことも書いてあるが、楽しんで読んでいる人が多数派に見えてさらに苛々してしまった。あるいはたまたま『夕暮まで』が吉行作品の中では駄作なのかもしれないとも考えたのだが、そのようなことを書いている人もない。
ダメもとで、面白くないものをきちんと面白くないと言ってくれそうな学者や作家のブログでワード検索していると次の記事が見つかった。
「しかし蓮實先生が、吉行などという三流作家が好きで好きでたまらないなどというのはよほどのバカであると書いたのだが、私もまあ、バカとまでは思わないが、どこがそんなにいいのか訊いてみたい。」
「吉行の小説の凄いところは、読んだあとで中身を全然覚えていないことである。最初は覚えていたのがだんだん忘れるのではなくて、読むそばから忘れるのである。まるで魔法である。それじゃ面白いはずがない。」
「吉行の小説の凄いところは、読んだあとで中身を全然覚えていないことである。最初は覚えていたのがだんだん忘れるのではなくて、読むそばから忘れるのである。まるで魔法である。それじゃ面白いはずがない。」
この辺りには笑ってしまった。特に後者に関してはその通りで、『夕暮まで』では貞操を守る二十歳そこそこの女性が中年男性のものを素股するシーンが有名なのだそうだが、そんなシーンがあったこと自体完全に忘れていて、ウェブ上のレビューを読んでいて思い出したのだった。読了後すぐにレビューにあたったにも関わらず、である。
また、村上春樹も『若い読者のための短編小説案内』の中で吉行を取り上げて、下手糞だがその飾らなさがいい、といったようなことを書いていて(同書では、適切な批評は必要だが、その小説の良いところを見つけるような読み方をしたい、この間読んだあの本がこうこうこうで良くってさ……と仲間に話したい、などということも書かれていて、村上春樹の今どきの若者的イケてる感覚を持ち合わせたオジサン性が佐々木俊尚や糸井重里と重なった)、やはり下手糞には違いないのだな、と胸をなで下ろした。
さすがに一作しか読まずに判断するのも申し訳ないような気がするので、気が向いたらあと何作かは読んでみようと思う。小谷野さんのブログ記事から察するに、無駄に終わりそうではあるが。