2019年2月21日木曜日

略称の多用

 いつの頃からかドラマ、映画、小説等作品タイトルの略称がたびたび目に付くようになって、それが鬱陶しい。
 もとは作品が優れているゆえにファンの間で自然発生的に生まれたものかと思うけど、最近では新ドラマが始まるなりメディアや作り手の側が当然のように略称を用いるやり方がままみられ、 親しみをもってもらおうというプロモーション上の目論見があるのだろうけど鬱陶しくてかなわない。略称が与えられる作品はそれに値する知名度や内容を伴っているべきで(たびたび言及することになるから自然略称の必要性が生じる)、始まったばかりのドラマタイトルに略称は不要であろ。放送が終わるとともに記憶から失せていく有象無象に略称はふさわしくない。『逃げるは恥だが役に立つ(逃げ恥)』のヒット以来この傾向は強まっているようで、苛立ちは募るばかりである。
 逃げ恥と言えば次クールの同枠でドラマ化された『東京タラレバ娘』が逃げ恥の前進させた価値観を見事に元の場所にまで引き戻していて、呆れてしまった。